ここ3年で変わった自分の器についての話
うまくいかない時の思考の話をまずしたい。
大学受験の時、本当にうまくいかなかった。
頭の中が散らかって、こうしなくちゃ、ああしなくちゃ、そうできなきゃ、ダメだって言う思考に支配されていた。
でも、思いついた行動をすべてやろうなんて無理で、体は壊れるし、痛みでどうにかなりそうだった。
お金ないくせに勉強をしろって感じで、それをしない限り、生きてちゃいけないような生活環境だった。
言うことを聞かなかったら折檻
そういう厳しい日常を体感しているから、ほんの少し嫌な事があったくらいでは、動じなくなった。
それで、そういうどうしようもない日々を過ごしながら、生きて、なんとか、今日までを繋いでこれたのは、自身の力もあるとは思うが、周りの協力が大きかったように思う。
それで、様々な人たちと出会い、様々なことを言われ、それに関して考え、思いを巡らしながら、進んできた道は、確かに痛いものであったが、でも、それと同時に、平穏な日常がいかに恵まれているかを知る良い機会になった。
何かがあって当然の世の中。何かを言われて当然だし、何かをされて当然。自分ではどうしようもないこともある。
だけど、進んで行けば行くほどに見えてくるものは、自分の中が広がっていく感覚が確かにある。
あの時は、そんなこと、絶対無理。できない。やれるわけがない。そんなことしたくない。って思ってたけど、だんだんと基本的な生活が整って、だんだんと嫌なことが起こらなくなって、落ち着いた環境になっていけばいくほど、もっと新しいことを学びたい、知りたい、分かりたいって気持ちが育って行った。
だから、自分を閉じちゃうときは、自分の中に何かあるからだと思う。問題が解決していなくて、不透明になって納得のできないことが多いから、どんどん閉じ気味の方向になっていく。
なんで、こんなことになってんだ?
あれ?おかしいぞ。って。
そういうものが積み重ねっていけばいくほど、新しいことが嫌いになる。変わることが怖くなる。
変わろうとして色々やってみるけど、その中に、自分の納得のできる答えがない。
だから、やってみたけど、やっぱり、こうでしょ。どうせ、こうなんだって思う気持ちばかりが育つ。
その心が、自分の中にある時は、変わりたくないし、新しいことをするなんてもってのほかなんだよな。
だって、これ以上傷つきたくないって思っている自分が確かにいるから。
生きてみて思う。どの流れでどんな気持ちになるのかなんて分からないけど、その日を迎えてみないと分からないこともある。
だから、明日、明後日、その先を、最高にするために、今、どうしたら良いのか。どう向き合えば良いのか知ったら良い。
本気で苦しんで、悩んで、出した答えが自分にとって納得のいくものなら、他人にどうのこうの言われようが、やるだけやった、文句あっか?って言える。
ちゃんとやっていない時って言うのは、本当に、誰かに何かを言われて、中途半端に自分のことを考えるから、相手が悪いって思う。
全部やってみてできなかったことと、本気でやらずに中途半端にしている自分がいるから、他人に対して、強気になれない。
自分の中に問題があるから、他人の言葉に反応する。
自分のことを他者のせいにするのは、逆に言えば、自分が自分に対して真剣になれなかった結果だろう。
だから、熱くなれない自分に対して、問うべきことがある。自分自身の中にきっと答えはあるんだ。
どうしたら良いのかなんて本当は知っている。
どうあるべきかなんて本当は分かっている。
だけど、そうしなきゃいけない理由があるんだろう。
逃げていてはいけませんってよく言われる。
これって、誰かの気持ちを汲み取ることができない人になってしまうから言う言葉なんだって思う。
自分に対して厳しい言葉を投げかけれる人もいれば、自分に対して励ましの言葉をかける人もいる。
実は、その人たちもずっと昔に自分と同じことに遭遇して、そうなってしまわないように、自分たちよりもっと先に良い未来を築いてほしいから言っている言葉なんじゃないか?
こんなことにならないように、せめて、どうか、お前だけは、自分たちより、もっと良い未来に行ってほしい。
だから、逃げないでほしい。立ち向かってほしい。自分たちはここまでしかできなかったけど。
後悔があるから、大人たちは子供たちに願いを託す。
自分のような生き方をしないでほしいから。
そういう風に考えると、自分だけの気持ちがすべてだと生きていると、本当に辛い目に遭っている人の気持ちなんか分かりはしないって思う。
人と出会い、ともに、協力して仕事をし、その中で思うのは、誰かのことを言う前に、自分のできることを一生懸命やったのか?ってこと。
人は人のことを羨ましがるけど、その背景にあるものを見ない。
ただ結果に拘る。
くだらない。
そこに行くまでの過程が本当は大事なのに、あれができた、これができない。
どうして、誰かのことを言えるんだ?どうして、自分自身は何もしないで、誰かに何かをしてほしいって思うんだ?
何かを得れば何かを失う。等価交換。
誰かに優しさをあげれば、そのまま、優しさが返ってくる。
困っているときに返ってくる優しさもある。
だから、自分と同じように、誰かを扱ってあげてほしい。
その誰かは自分であり、逆に、その誰かである他人も、その人のことを自分のように思ってあげれば、多少は寛大になるだろう。
知らなきゃいけないことは、今までの自分の枠組みだけで考えるんじゃなくて、もっと幅広い世界の中で自分はどういうところにいて、誰と何をできるか。
それがどれだけ尊いことか知った方が良い。
全部、終わってから気付く場合もあるけど。